すでに愛されているから大丈夫!! アラフィフ牧師の独り言

人間関係のことや、ものの考え方、マインドセットについて

謙遜について考えた

日本人が「謙遜」というとき、それはただ、人より目立たないように振舞うことじゃないですか。誰かに向かって「少し謙遜になりなよ」といったりするのは、その人の能力をねたんでいう場合も多いでしょう。そもそも「謙遜」という振舞を、人に強要する人こそ「高慢」であるわけだから。

 みんなと違ったり、抜きんでたりする人を、素直に称賛し喜びましょう。妬んだり自分のちっぽけな自尊心を満足させようとして「あなたもわたしたちと同じレベルになれ」と引き下ろしたら、この世界に不利益をもたらします。互いにもっと認め合い、高めあい、偽りの「謙遜」や「自己卑下」などしなくても、「高慢」とさえ言われても、神の作品としての自分に対し自信をもつべきです。

 本当の「謙遜」とは、人との比較などではなく、天地を造られた神との関係において、神に造られた被造物として、神に対して謙遜であることなのだから。