すでに愛されているから大丈夫!! アラフィフ牧師の独り言

人間関係のことや、ものの考え方、マインドセットについて

無条件の尊敬がもたらす、愛の奇跡

夫婦関係を考える時、「愛」についてはよく語られると思いますが、「尊敬」については、ほとんど考えられてこなかったのではないかと思います。

 

お互いに「愛し合って」いるのに、なぜか小さなことで喧嘩をしてしまったり、すれ違ってしまうことがあるでしょう。

 

そもそも、嫌いなのに一緒になったはずではないのです。愛し合っていたはずなのに、その愛情表現がすれ違ってしまって、傷つけあってしまうということがあるわけです。

 

問題は「愛がない」ことにあるのではなく、「無条件の」「尊敬」の表現がないところにあるのです。

 

「無条件の尊敬」なんて、聞いたこともないかもしれません。「尊敬」とは、「尊敬」に値する人じゃなければ、しないものという思いがあなたにもあるでしょう。

 

「尊敬」してほしいなら、尊敬できるようなことをしなさい、と思うでしょう。多くの人々にとって、「尊敬」とは「無条件」ではなく、「勝ち取るもの」になっているのです。

 

多くのばあい、妻は夫が「尊敬に値する」とは思っていません。

そして夫は「妻からの尊敬」を求めていますが、多くの場合、「妻からの侮辱」はあまりにもひどい、と思っています。

 

妻にも言い分があるでしょう。

「優しくない夫を、どうして尊敬できるの」

「尊敬なんてとんでもない。こんなに傷つけられているのに」

「わたしの望むように愛してくれたなら、尊敬できるかもしれない」

 

さて、これらの「条件」をクリアし続ける夫は、この世界にいるのでしょうか?

 

「無条件の尊敬」とはかくも難しいことなのです。そしてそれゆえに、この「無条件の尊敬」に絶大なる関係回復力が秘められているのです。

 

夫からの愛を引き出すために、「無条件の尊敬」以上の力はありません。なんでもいいから、夫を尊敬していることを妻が伝える時、夫は確実に変わり始めます。

 

もしそれでだめなら、諦めましょう。でも、だめもとでも、関係回復のために、やってみる価値があるのではないでしょうか。

 

「あなたって、すごいわね」

「尊敬しているわ」

 

この一言が、きっと愛の奇跡を引き起こすことでしょう。

夫婦関係がもつれる根本原因

夫婦関係がもつれるのは、男性と女性は必要が違うということに、気づいていないからなのです。

 

「愛」さえあれば、うまくいくというのは、幻想です。

 

逆をいえば、「愛」がないから、うまくいかないわけでもないのです。

 

そうではなく、互いの必要に対する「無知」が原因であったりします。

 

妻である女性は夫から「愛される」ことを求めます。

 

ところが、夫である男性は妻から愛されることより、「尊敬」されることを求めるのです。

 

男の子と女の子の育ちかたの違いを思い起こしてしましょう。

 

女の子は「かわいいね」と言われて育ちます。決して「かっこいいね」ではありませんね。

 

反対に男性は、小さいうちは「かわいいね」ですが、そのうち「かっこいいね」と言われると嬉しくなるものなのです。

 

大人の男性に「かわいいね」といって嬉しがるでしょうか?

 

「かわいいね」とはあなたを愛するという愛情表現であり、「かっこいいね」はあなたを尊敬するという表現です。

 

男性と女性は、育ち方からして、必要としている言葉が違うのです。

 

これが理解されていないので、妻は夫を尊敬する言葉をうまく使うことができず、

 

そして、尊敬されていないと感じた夫は、妻を愛する言葉をうまくつかうことができなくなって、

 

相手を責め合って、夫婦関係がもつれていくのです。

 

 

 

このことに気がついていなかったり、知っていても無視をしているので、夫婦関係がもつれるのです。

公立学校の画一的な教育システムが、発達障害児というレッテル貼りをしてしまうのでは?

発達障害という言葉は、少しネガティブな響きがありますね。

 

「障害」という言葉がそういう響きをもっているからでしょう。

 

しかし、「健常者」と「障害者」を分ける基準は何なのでしょう。

 

おそらく学校教育において、同じカリキュラムをこなしていけるかということが、その基準となるのではないでしょうか。

 

クラスの中で、「ちょっと変わった子」「落ち着きのない子」が、今はADHDという注意欠陥・多動性障害と診断されるようです。

 

親の育てかたが原因ではなく、脳の機能障害により脳機能の発達が未熟で、年相応のレベルに達していないと、理解されるようになり、それはそれで親が自分の子育てについて責めたり、他人から責められたりするようなことからは、解放されたことは良かったと思います。

 

一方で「障害」というと、その状態がずっと継続するようなイメージがもたれますが、

 

必ずしもそうではなく、様々な能力の成長のスピードが、アンバランスであることも「発達障害」といわれるわけです。

 

そのような様々な能力の発達速度のばらつきは、「障害」という言葉を使うほどなのかとおもうのです。

 

 

 公立学校は、年齢で区分けして一斉に教育するシステム

 

なので子どたちの様々な能力の発達具合を、ある範囲内でおさえないと、授業ができないわけですね。

 

授業についてこれない子どもたち、「ちょっと変わった子ども」たちを、「障害」とするのは、なんだか規格品をつくる工場の発想のような気もするのです。

 

 

子どもたちに「障害」という言葉を使うことには、慎重であるべきだと、わたしは思うのですが、

 

 

どうおもわれますか 

カウンセリングとかコーチングの理論だけ知っていてもだめなんだよ

職業柄、交流分析などのカウンセリング技法や、アファメーションなどのコーチング理論について学んできたけれども、

 

様々な人との出会いや関わりの中で、それらの技法や理論に助けられつつも、

 

やっぱり最後は自分自身の人格や霊性が、人との関わりの中で重要になってくるのだなと、実感しているんですね

 

そういう意味で、やはり自分にとって、

 

日々、聖書の言葉を読み、祈ることによって、

 

自分自身の心の平安とあるべき自分自身の姿を、取り戻し続けることが、

 

人と関わる上で大切な力となっているわけです。

 

この理論や技法をこえた、数値化できない人間の霊性に関して、

 

カウンセラーでもコーチでもいいのだけれど、

 

認識しているか、していないかということは、

 

決定的な差があると思うのです。

 

つまり、人間は理論や技法をただ伝えるロボットではなくて、

 

人格から人格へと影響を与えあっていく存在である、

 

ということなんですね。

 

 

以前、死にたいって言っていた彼から、今年もクリスマスカード

もう10年近く前に出会ったI君から、クリスマスカードとわたしの働きへの支援金が送られてきました。

 

ずっと電話で彼のカウンセリングをしてきたのですね。

 

最初の頃は「死にたい、死にたい」って、本当に危ない状態だったし、ご家族の協力もあったから、なんとか乗り越えられたけれども、今思えば結構大変でしたね。

 

家から一歩も出られなかったI君。

 

サッカーが好きで、大学ではポルトガル語を習得までしてたのだけどね。いろいろあって、強いうつ状態になっていた彼。

 

彼が好きなブラジルのサッカー選手には、クリスチャンがたくさんいるんですよね。

 

それで不思議に牧師のわたしと出会うことになって、それからの付き合い。

 

家から一歩も出れなかった彼と、電話で数え切れないほどカウンセリングをしてきて、だんだん彼の状態が良くなって、やがて、彼は結婚するんですよ。

 

もう、奇跡としかいえませんでしたね。

 

もちろん結婚生活こそ人間関係における最大のチャレンジ。

 

その後も夫婦のカウンセリングをさせてもらって、いくつもの壁を乗り越えてきました。

 

そんな彼ら夫婦から、今年も感謝のクリスマスカード。

 

関わらせていただいて、よかったなぁ。

 

つくづく思う一瞬ですね。

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妻の肌がつるっつる

今朝、洗面所で顔を洗い、

 

濡れたままの顔(タオルで拭かないほうがいいのだそうだ)を、わたしに近づけてきて、

 

「ねえ、肌がきれいになったと思わない」と妻がいうのです。

 

そういわれて、じっとほっぺのあたりを見ると、確かにつるっつる

 

「そうだねぇ」といってあげると、うれしそうな顔 (^O^)。

 

どうも、最近毎日続けている、玄米スープの効果らしい。

 

「玄米スープ」は今はだいぶ知られるようになったけれども、

 

すでに数年前に、その作り方を習得して、ブログに書いたんだよね。

 

「玄米スープ」の検索結果 - 生きる喜び(Fujii牧師の独り言)

 

当時は、山形の酒田にいたから、玄米を手に入れるのも簡単だったしね。

 

若返りビタミンと言われるビタミンEが、非常に豊富に含まれている

 

玄米スープ

 

高いサプリなんかよりも、100倍いいですよ。これ。

 

旦那が奥さんのために、作ってあげたら、夫婦関係のビタミンにもなるしね。

エッセンシャル思考

エッセンシャル思考という本を読んだ。

 

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 

エッセンシャルとは日本語にすれば「本質」ということ。

 

枝葉ではなく本質にこそ時間を注ぐことが、すくない労力でより良い成果を上げることになるという本。

 

よくある自己啓発本だけれども、具体的な事例が沢山あり、説得力のある本だった。

 

あれもこれもと、忙しくしてしまうことは、事務能力のある人ほど良く起こることなのだろう。

 

パソコンやスマートフォンが、その傾向を加速した。いつでもどこでも、繋がっているということは、大切なことに集中する時間持ちにくいということなのだと思う。

 

本を読むこと。集中して考えること。優先順位を大切にすること。

 

それが結局は、限られた人生の時間を有意義に生きることにつながるのだ。